『春一番 2024』前編 ー 福岡風太が生きてるうちは、この野外コンサートをやり通す
大阪のライブイベント『春一番』が2024年5月3日~5日の3日間、豊中市〈服部緑地野外音楽堂〉にて行われた。1971年から半世紀以上に渡って続くゴールデンウィークの風物詩的野外コンサート(1979年に一度休止、その後1995年から再開)。通算36回目となった今回も会場班の有志スタッフとして、準備期間から参加した筆者が、目の当たりにしたステージの模様はもちろんのこと裏側の光景も交えて、三部構成で綴っていく。本稿は初日の模様を追った前編。
福岡嵐から突然の連絡
2024年1月4日。年明け早々に『春一番』の主催者である福岡風太の息子、福岡嵐から久しぶりに連絡が来た。筆者は2013年からこの野外コンサートの準備と運営を担う有志スタッフとして関わっているが、20年近く参加していたある女性スタッフが昨年9月に亡くなったことの共有だった。コロナ禍を挟み4年ぶりの開催となった昨年は会場設営日に来ていたのだが、以前からスリムだった彼女の姿はさらに痩せこけていて、顔色もよくなかった。早々に嵐は体調を優先するよう強めに告げ、どうにか観念して病院に行くことに。「翌日以降スタッフができなくても、物販のお釣りで必要な小銭は自宅に確保しているから、診察が終わったらそれだけでも渡しに来る」と言って会場を後にしたが、我々が彼女の姿を見たのはこの時が最後となった。
嵐も年が明けるまで知らなかったそうで、すぐさま筆者に連絡をしてきたのだった。しばし偲ぶやりとりをしていたが、彼にはもう一つ要件があった。「今年も春一番やります。力貸してほしい」と。昨年、車いす中心の生活となっていた風太は、3日間の開催中、毎日1~2時間だけ会場に来ていた。筆者が記したレポートでも今後に関する言及を最小限に留めていたのは、風太が徐々に『春一番』に関与できなくなっているこの状況で、翌年以降の開催は明言おろか、当人である風太や嵐だって本当にわかっていなかったからである。
だから例年より幾分早いこのタイミングで今年の開催を聴いて驚いた。どうやら「風太が生きてるうちは『春一番』をやり通す」と昨晩決めたらしい。そうなればもう風太と嵐を支えるのみ。開催発表へ向けた準備に取り掛かり、1月11日には毎年お馴染み、風太による直筆の開催宣言が届いた。文字は年々線が震え、形が崩れてきているが、このコンサートを通じて半世紀以上訴えかけてきた「反戦、反核、反差別」のメッセージは変わらず、今も力強い。
そして1月13日に開催を発表。数奇なことにその翌日、憂歌団の初代マネージャーであり、関西ブルースシーンの立役者である奥村ヒデマロが亡くなった。『春一番』にとっても所縁が深く、自ら歌うようになった2010年以降は重要な演者の一人でもある。また長らく風太と共に『春一番』を取り仕切ってきたあべのぼるが2010年に亡くなってからは運営面でも風太を支えていた時期もあった。筆者が有志スタッフとして関わるようになった2013年ごろ、風太とヒデマロが事務所で平日の夕方から金麦を飲んでベロベロに酔っぱらいながら、ステージ演出について議論を交わしている光景は強く記憶に残っている。
我々にとって重要な二人を失ったところから、2024年の『春一番』は走り出した。「一人ひとり追悼してたら、それだけでステージが終わってまう」と言っていたのはかつての風太だが、当人も今年76歳の高齢かつ健康状態も思わしくなく、昨年以上に指揮が取れない。今までどれだけ運営の実働を担っていようとも、あくまで風太を「支える」立場だった嵐が、全責任を背負って今年の開催を成功させなければならないことがわかりきっていた。1971年に始まり79年に一度幕を下ろし、1995年から今まで続く『春一番』をいかに守り、いかに変化させていくか。そしてその想いを演者はいかに受け止め、パフォーマンスをしたのか。全組とはとてもいかないが、会場班として動きながら観た景色を出来る限り記録していこうと思う。
通算36回目、盛況・晴天の初日開演!
5月3日、初日。開場・開演は11時なのに8時にはすでに入場列に待機しているお決まりの常連客や、久しぶりに楽屋で顔を合わせてすでに同窓会ムードになっている演者たち。筆者がこの場所に関わり始めてもう10年を超えたが、この光景を見ると今も新鮮に気持ちが高ぶる。開場・開演15分前。トランペット奏者の黄啓傑が会場の外に飛び出し、入場列に向かって演奏を始めた。ROBOWの阪井誠一郎もバンジョーで参加している。予告なしのゲリラ演奏も『春一番』の醍醐味だ。ゴキゲンなジャズセッションに観客からは早速手拍子が起こる。そうこうしている内に11時を迎え、嵐の「春一番2024 開場・開演いたします」の号令。入場口が開いて一斉に観客が〈野外音楽堂〉に入場する。黄と阪井の演奏は“聖者の行進”に変わって、二人とも入場列に交じりパレードしながら登場。ゴキゲンな幕開けを飾った。
黄は在籍しているブルームーンカルテットや川上つよしと彼のムードメイカーズをはじめ、数々のセッションに参加しており、『春一番』にもリーテソンのバンドメンバーとして出演経験はあるが、ソロとしては初。またjet wongとしてボーカルアルバムも発表しており、この日はそんな彼の両面をハイライトしたようなステージだった。おーたかずおのピアノをバックとした彼の歌には出身地神戸の景色が色濃く刻まれている。メロウだが朴訥でカラッとした情感は、晴天に恵まれ過ぎたこの日の開口一番としてふさわしいものだった。
続く蠣崎未来のステージにも途中から黄が登場。普段は弾き語りが主体の彼女だが、ピアノの小林創とのトリオ編成での演奏となった。酒場に合うハスキーな発声でとつとつと歌う静かな曲が多くを占める蠣崎。東日本大震災が起こった東北の情景を直接目の当たりにしたことで作られた“街の灯り”は何度聴いても胸が苦しくなるし、Curtis Mayfield “People Get Ready”に繋がっていくラストには思わず拍手を送りたくなる。一方で最後に披露した“日々”はピアノとトランペットによって心地よいスウィング感が生まれ、彼女の歌のソウルフルな部分がいつになく際立っていたのが印象的だった。
ロックフェスとは似て非なる、コラボに次ぐコラボが生まれる場所
この冒頭二組の模様だけでもわかるだろう。各組の持ち時間は20~30分だが、演者がまるで互いのステージに遊びにいくかのように、とにかくコラボレーションが多いのが『春一番』。タイムテーブルを発表していないことも含めて、お目当ての演者のステージを楽しむのではなく一日通じて『春一番』という作品、という精神に基づいている。形式こそ近いがやっぱり「音楽フェス」とは似て非なる、『Woodstock Music and Art Festival』(1969年)に憧れた若き日の風太たちが始めた、3日間の「野外コンサート」なのだ。大楽屋一つに演者全員が待機し、有志スタッフが作るケータリングと梅田の音楽酒場〈アフターアワーズ〉が提供する酒を楽しみながら、その日一緒にやる曲を相談する光景が度々見受けられる。
とりわけこの日はショーウエムラが「今年みんなどないしたんやろ。やりたい放題やな」とつぶやいていたほど、入り乱れていた。2014年以来4回目の出演となったソウル・フラワー・ユニオンの中川敬は最初からリクオと共に登場し、たっぷり50分のステージを披露。二人で行っているライブツアー『うたのありか』をそのまま持ち込む形となった。登場するや否や丁々発止のやりとりで会場から笑いが起こるが、ひとたびリクオの楽曲“光”で二人の声が合わさると、何にも代えがたい説得力に会場に静寂が訪れる。中盤にはNick Loweの曲にリクオが日本語訳を付けたカバー “(What’s So Funny ‘Bout) Peace, Love, and Understanding”を演奏していたが、平和と愛と相互理解というメッセージは二人の音楽にも一貫して感じ取れるもの。リクオは“リアル”、中川は“石量の下には砂浜がある”、“いのちの落書きで壁を包囲しよう”など互いの最新曲を織り交ぜながら、社会への警鐘、平和への願い、飛び切りの愛、そして市井に生きる人々への温かいまなざしを振りまいていく。そんな二人の姿を観ていると笑顔がこぼれながらも背筋が伸びて、力が沸いてくるから不思議だ。極めつけには“アイノウタ”、“満月の夕”と代表曲を披露し、大合唱のまま幕を閉じた。
この日最も会場が沸いたコラボレーションで言えば、押尾コータローだろう。近年は清水興との超絶ギター×ベースバトルが定番であったが、今年はいきなりリクオを呼び込み、互いの音色を確認するかのような繊細なアンサンブルで“桜・咲くころ”を披露した。2022年に亡くなった自身の師匠である中川イサトが所有していたギターストラップを付けてきたという押尾。中川イサトなくして日本のインストゥルメンタルギターは無かったというほど、多くの作品と弟子を残したと説明しながら、押尾と同じくイサトのギター教室に通っていた兄弟子にあたるという人物を招き入れた。シークレットゲスト、嘉門タツオ。日本を代表するコミックソング・シンガーだが、「今日は笑いはなしで」と前置きする。演奏したのは嘉門視点で師匠の功績を辿っていく“イサトさんに捧ぐ”。合間にはイサトの代表曲“その気になれば”や“六番町 RAG”を織り込み、押尾と競うように直伝のテクニカルなフィンガーピッキングを見せつけていた。
嘉門との親交も深い金森幸介も、この日イサトの“その気になれば”を1曲目に披露していたのは偶然か。また続いて加川良の“教訓Ⅰ”まで歌い始め「去年からせっかく『春一番』に戻って来たのですが、その間にイサっちゃんも小斉ちゃん(加川良の本名)も……地獄に行ってしまいました」とのMCに観客からドッと笑いが起きる。その後も「今一番地獄に近い男に手伝ってもらいましょう」と松田ari幸一、渋谷毅という演者の中でも最年長組を呼び込み“心のはなし”をコラボレーション。心の動きを繊細に捉えて人生の教訓とし、静かに咆哮し続ける金森の歌はズシっと響くが気持ちが軽くなる。格別な時間だった。
また松田ari幸一とシバというシンガー&ハーモニカ奏者の大御所二人の特別ユニット、アリシバにも触れておきたい。シバは2014年以来、10年ぶりの出演となった。昨年返り咲いた金森しかり、70年代から『春一番』を支えてきたが何かの拍子で疎遠となってしまった演者に、戻ってきてもらおうとするブッキングはとても評価したい。この日のシバだってどんな曲を演奏してもブルースになってしまう魅力はまるで変わらない。1stアルバム『青い空の日』(1972年)に収録された“もぐらの唄”のぶっきらぼうなブルースハープの音色と、泥汗滲む枯れ切った渋い声に思わずのけぞってしまった。ラストの“愛の国道20号線”を終えても、鳴りやまない拍手に答え、次の出番である友部正人を呼び込み“Love Me Tender”を共演。1971年の第1回『春一番』から出演していた3人。友部が一語一語を噛みしめながら歌い、その後ろに漂うアリとシバのハープはとてもやさしい。これで今日は終演としてもいいくらいの荘厳な光景だったが、まだ16時台。暑すぎた会場もようやく影が伸びてきて、心地よい涼しさをもたらしてくれたステージだった。
台風クラブと中川五郎が混ざり合う、カオスな初日の大団円
当日のことを思い起こすと際限なく書けてしまうが、特に印象に残っている場面をハイライトしておこう。すでにライブハウスシーンでは人気を獲得している京都のスリーピース、台風クラブの初出演が決まった時は、少し意外に感じた。しかし石塚淳(Vo / Gt)は18歳だった2004年に有志スタッフとして参加していたそうだ。ひとしきりサウンドチェックを行ったのち石塚は「有志スタッフをやった時に中島らもさんやら、高田渡さん、加川良さん、友部正人さんとかいて。もうあんた方のおかげで人生めちゃくちゃですわ。あなた方のおかげで生きてて楽しいです」と告げて、自身を通り過ぎて行った数多のバンドたちに向けて歌われた“火の玉ロック”の演奏を始める。SGのギターヘッドには有志スタッフの手書きによるバックステージパスを結び付け、この場所に最大限のリスペクトを込めた初演奏となった。このステージを観て、中川五郎が伊奈昌宏(Dr)に自分のステージでのドラムをオファーする。自分の出番が終わってなお、バタバタとリハーサル室に誘われていき、『春一番』の洗礼、いや醍醐味を存分に味わうこととなった。
カサスリム(Vo / Gt)と芳賀まさひろ(Vo / Gt)によるアコースティック・ブルースユニット、歌屋BOOTEEは4月後半になって最後に出演が発表された。当初出演の予定はなく、奥村ヒデマロの訃報を受け、お世話になったヒデマロさんの歌を『春一番』で演奏させてほしいとの直談判があり、嵐は長らく悩みぬいてどうにか出演枠を捻出したというのが経緯である。2018年以来の出演となった彼らに与えられた時間は10分。カサスリムが「黄昏の夕陽を浴びる 歩いて東通り~」と歌い出すと、全てを察した観客から「ヒデマロー!」と声が上がる。梅田の阪急東通商店街の飲み屋で愛された“黄昏~東通り~”。これに大きな声援を受けて、予定になかった自身の楽曲“立ち食いうどん屋ブルーズ”まで計3曲をギュッと詰め込んだ。ヒデマロがいた梅田東通りや西成の風景が立ち昇って来た瞬間だった。
この日のトリは第1回目から出演している中川五郎。『春一番』には毎年異なる編成で臨み、その時世の中に放つべき新しい曲を持ってくる、常に今が最も刺激的なシンガーである。今年は伊東正美と、出演者の中でもひと際若いマンドリン奏者のJin Nakaokaとの3人編成で演奏開始。“空飛ぶ金のしゃちほこ”は名古屋城の木造復元にあたってエレベーターが撤去される問題に対し、討論会での車いす利用者への差別発言と、それを受けた河村たかし名古屋市長の対応への痛烈な批判の歌だ。起きた事象の経過をこつこつと綴っていく中川の歌には徐々に怒りが露わになってくる。そこに乗じて伊東とJinの演奏にも熱が帯びていくインプロビゼーション。そして友部正人“一本道”の名フレーズをもじり「ああ金のしゃちほこよ 空を飛んで粉々に砕け散れ!」と絶唱。アコースティックギターにはファズがかかり、興奮のあまりシールドがはずれ、自身のギターの音が出なくなってもお構いなし。プロテスト・フォーク・シンガーの生き様を見せつけられた。
その後も震災後に宮城で展覧会が開かれたことに触発され作った“フェルメールのラブレター”や、第1回目にも披露したというJerry Jeff Walkerの日本語訳“ミスター・ボージャングル”など、半世紀以上に及ぶ彼のキャリアの中でも重要な曲を生々しく演奏していく。最後はJanis Joplinのカバーで有名な“ミー・アンド・ボビー・マギー”。前述の通り急遽中川に誘われた台風クラブの伊奈がドラムを叩き出し、ショーウエムラもベースを持って現れる。この流れに乗じて、ステージ裏で楽器のセッティングを担当している足立修一もサックスを吹き出し、白崎映美もマイクを取って大立ち回りの歌いまくり。次々と会場に残っている演者がステージ上に集まり、予期せぬ大団円となった。
終演となり、AZUMIとヤスムロコウイチによる姫路工業高校の同級生コンビが率先して出て行きマイクを持ち、播州弁で観客を送り出す。いやぁカオスな初日だった。気がかりだったのは、風太が姿を現さなかったこと。会場内を歩いていると、複数人の観客から「今日、風太は来てへんのん?」と聞かれる。筆者は「来てほしいですねぇ」と返すしかなかった。
写真:浜村晴奈、湊川萌
協力:福岡嵐(春一番)
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1991年生まれ。大阪北摂出身、東京高円寺→世田谷線に引っ越しました。
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ANTENNAに在籍しつつミュージックマガジン、Mikikiなどにも寄稿。
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min.kochi@gmail.com